コラム

クジラの世渡り

第2回 路地裏の日本語学習

僕は大学の日本語講座をとって日本語を学ぶようになったが、その授業は、決して納得のいくものではなかった。「魚には、手も足もない」などという文章が出てくるのである。いったいどんなシチュエーションでこんなことを口にするというのだろう。悪名高い日本の英語のテキストといっしょである。
"This is a cat." "I am a boy." 使う場面を誰が想像できるだろうか。
目の前にいる猫を指さして「これは猫です」なんて言ってる人間を、僕は一度たりとも見たことはない。
僕は使える日本語をモノにしようと、街へ出ることにした。八百屋であれ、魚屋であれ、チャンスさえあれば日本語を発することにしたのだった。

「これ、いくらですか」
  「一山、五十円です」
「あれ、四十円って書いてあります」
  「え、ガイジンさん、日本語読めるの?じゃあ、いいや、二十円にまけとくよ」

まだそのころは、
「またまた、おじさん、セコいもうけ方をしようとして!」
「でも、まけとくなんてとこは、江戸っ子だねえ」

などと、今なら朝飯前の切り返しもできなかった僕だが、こんなことでめげるものか、とその後もこの八百屋に何度も行った。ずぶとさだけはあったのだ。八百屋のオヤジもこの一件をずっと覚えていてくれたらしく、その後もいく度となくおまけをしてくれたものだった。出会いのときの印象だけで足が遠のいてしまっていたら、このオヤジとの友好(?)関係もつくれずじまいだったろう。

当時住んでいた三鷹の酒屋のバアさんも、なかなかのものだった。
ジュースやらおせんべいやら、あれこれ取りまぜて差しだすと、大きなソロバンをはじいて、バアさんは言う。
  「四百八十円です」
ヤンキーの僕にだって計算はできる。合計は明らかに四百三十円だ。
「違うじゃないの。四百三十円でしょ」
だまされたりするものか。こっちは奨学金で暮らす身、しっかりしていなくては生活できなくなってしまう。
だが、酒屋のバアさんは顔色ひとつ変えずに言うのだった。
  「ガイジンさん、頭いいのねえ」
その翌日も、僕はその酒屋に立ち寄った。
  「三百八十円」
「三百三十円でしょ」
  「ガイジンさん、頭いいのねえ」
また例の調子だ。それでも僕は、懲りずにそのバアさんのところから食料品を買い求めていたが、バアさんのほうもいっこうに懲りる様子はなく、きっちり五十円増しの額を請求するのだった。

週のうちの半分ほどその酒屋に立ち寄っているうちに、バアさんには戦争に行った一人息子がいたこと、ガイジンと話をしたのは僕が初めてだったこと、ジイさんとは恋愛結婚だったことなどを知ったのだが、僕が三鷹の下宿を一年後に引き払うまで、バアさんは一度たりとも正しい額を請求することはなかった。
三鷹を引っ越す日、バアさんは僕の好物のカキノタネをどっさり持って、見送りに来てくれた。
「ガイジンさん、達者でね」
無愛想なバアさんの目が、少し光っていた。

こうして、僕の異文化間コミュニケーションははじまったのだった。 大学を出て学生の身分から大学で教える側にまわった僕は、社会的、経済的なバックグラウンドのあるガイジンとなった。

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