コラム

クジラの世渡り

第3回 くじらになれないクディラ

日本では、大学教師という職業はそう悪いモノではない、というのが僕の実感である。しっかりした社会的立場があるというのは、何かにつけて強みだった。とくに先生という立場は、日本ではきわめて有利にはたらく。

先生は先生、学生は学生という立場がはっきりと区別されていて、その区分があいまいになることはない。
「先生、お時間をさいていただけませんか」
言葉ひとつをとってみても、学生や大学職員たちは敬語を使った。
年が上だったこともあるのだろう。先生に尊敬を示す学生たちの態度が崩れることはなかった。当時は今よりもずっと、教師と学生、年長者と年少者の区分がはっきりしていたのだ。
そういう立場は安定しているし、こっちにしても居心地の悪いはずがない。
だが、僕はあくまでガイジンだった。学生たちの態度は冷やかではなく、むしろ温かいものだったが、熱い関係を結ぶといった感じではなかった。

そろそろ僕は日常会話にも困らなくなり、日本人と十分なコミュニケーションができるくらいにはなっていたのだが、逆に来日当時は見えなかった日本社会の壁が見えはじめていたのだった。
いつまでたっても僕はガイジンだった。いつまでたってもヨソモノだったのである。
大学紛争の火の手が上がりはじめたころ、僕に思いがけない転機が来た。
ある企業から誘いがあったのだ。大学で勉強してきたマーケティングとアメリカ人としての特性を生かして、日本企業の海外進出に協力してほしいという話だった。
当時の日本は、まさにこれから発展していこうという現在の中国に似た状態を脱して、今の韓国のように、高度成長を謳歌し、活気にあふれた国へと変貌しつつあった。
日本社会の壁をうすうす感じはじめていた僕は、それでも、日本の熱気に当てられていたのだろうか、その誘いにのって大学を辞した。

僕は、コミュニケーションの闇をどこかで感じながらも、ビジネスマンとして日本社会に入っていった。二十年余りも前の話である。
スカウトしてくれた企業の一角に、僕はオフィスを構えた。与えられた仕事は日々増える一方で、人も雇わなければならなくなった。それにつれて、ビジネス場面でのコミュニケーションも複雑になり、多岐にわたっていくのだった。
クライアントの日本人、同僚の日本人、そしてクライアント先の外国人に同僚の外国人。
まだ僕が先の企業の一角にオフィスを構えていたころ、僕の一生を左右するような事件が起きた。
恋愛である。相手は、クライアント先の女性だ。
企業にとって嫁入り前の女性は一種の預かりものだ。日本人どうしの恋愛でも、結婚を前提とする「真面目」な交際でなければ、周囲の理解は望むべくもない。「真面目」な交際であっても結婚に至らないこともある。そんな場合はいずれか一方、たいてい女性のほうが職場を去るケースが多い。
僕の場合はましてやガイジンであり、相手は大の得意先に勤務する女性だった。不祥事?が起きて(否、起きなくても)不本意な噂で傷つくのはまず彼女であり、いずれ僕も無傷ではいられなくなるだろう。不良外人のレッテルは、日本のビジネス社会では、まず致命的である。

僕たちが結婚を十分に意識しはじめたときに、まず心配したのはこのことだった。親にも反対され周囲の噂話に押しつぶされるという憂き目にはあいたくなかった。
僕らは、職場のトップにだけ相談した。
「今のところは私の胸におさめておきましょう。私は報告をうけていましたよ、と言って守ってあげられる日もあることでしょう」
という彼の言葉に支えられ、僕らは今後とるべき道を決めた。
彼女は結婚退職ではなく、一身上の都合ということで退職し、僕たちはその三ヶ月後、結婚した。
だが、その後八年の間、僕らが結婚したことを知る職場の人は、相談した彼をおいて他に誰ひとりとしていなかった。
そこまでする必要がはたしてあったのだろうか。今の僕なら、こんな方法で隠したりはしないかもしれない。だが、当時は国際結婚が今よりもずっと、奇異の目で見られていたこと、僕自身、日本のビジネス社会の難しさを身にしみて感じていたことなどを思い出すと、やはりこれしかとる道はなかったように思われる。

つい先日、雑誌で小さな記事を見つけた。
教師が教え子と恋仲になり、教師にあるまじき行為として処分された。しかし、その後二人は結婚し、今は堅実な家庭を営んでいるというので、先の処分が最近になって撤回された、とその記事は報じていた。
万日、二人が離婚でもしたら、またその処分が復活してしまうのだろうか。僕は記事を読みながらしっくりしなかったが、僕らの結婚から二十年もたとうというのに、しかも日本人どうしですら、事情はこんなところなのだ。
こうした情況を考えると、僕らのとった隠密工作は正解だったのかもしれない。そして、今こんな文章を書けるのも、僕らの間に娘が生まれ、せいぜい他愛もないケンカをするぐらいのことで、いわゆる「堅実な家庭」を営んでいるからなのだ。

日本人と結婚している僕に、
「日本人の奥さんってのはどうですか。コミュニケーションが難しくありませんか」
などと質問してくる人がいるが、僕にとって問題なのは、彼女が日本人であるということより、むしろ恋愛や結婚、とくに国際結婚についての周囲の見方のほうだった。
だから、質問の主にはこう答えることにしている。
「いやあ、アメリカ人の妻、フランス人の妻、インド人の妻と、いろんな国の人と結婚したことがあるわけじゃないんでね」
実際のところ、妻は妻である。妻の国籍をアレコレ考えながら夫婦がやっていけるだろうか。
その後、僕の会社は間借りの状態を脱して本社を別に移し、順調に業績を積み上げてきた
むろん、結果として順調といえるだけで、いつも数々のトラブルが生じていた。
クライアントとのトラブル、日本人スタッフどうしのトラブル、日本人スタッフと外国人スタッフのトラブル……。

今、僕はそのトラブルの一つひとつを書きとめている。
僕が公私ともにぼんやりと感じていた壁は何だったのか。
思い出すかぎりのトラブルを書き終えたころ、ぼんやりと見えていた壁がその本質を見せはじめてきた。

グローバルコミュニケーション研修のことなら何でもご相談ください。

PageTOP