コラム

クジラの世渡り

第6回 破壊要素としてのコミュニケーション

ゼロからperfectに至るプラスのコミュニケーションしかないのなら事は簡単なのだが、あいにくマイナス方向のコミュニケーションもある。
意味がよく伝わっていないとお互いに気づいていれば、存外な誤解や摩擦は起きないものだ。むしろ問題は、表現されたものの意味を双方とも正しく伝えた、正しく受けとった、と信じている場合である。双方の解した意味がイコールであれば、もちろんプラスのコミュニケーションであるが、部分的にアンイコールであった場合、コミュニケーションの効率は下がってしまう。部分的であれ、誤解が生じていることすら双方とも気づいていないのだから、その誤解が思わぬほど深い亀裂へとつながっても、それを修復することはできない。
この危険をはらんだ部分的誤解を、poor communicationという。

書籍の版権をめぐってハワイでアメリカ人夫妻を接待したときのことだが、接待中は本についてのコンセプトにも食いちがいはなく、この本一冊だけでなく、次回の作品についてもこちらと関わってゆきたいとまで言ってくれていた。では詳しい契約書は後日、ということで別れたのだが、いざその契約書原案を開いてみると、とんでもない条件が羅列してある。
印税が相場の三倍であったり、こちらが売った相手先のリストまで付けること、とある。
いったい、あの接待は何であったのか。あれほどコミュニケーションがうまくいったと信じていたのに、実際は、こちらの意図は何ひとつ伝わっておらず、いいように利用されていただけだったのだ。
幸いにも、このpoor communicationは、poorであることに気づかせる契約書というものがあったお陰で、すぐさま次の手を打つことができた。

だが、とんでもない段階のものもある。complete misunderstandingすなわち完全なる読み違いである。
当然、読み違いに気づいていないのだから、早晩、破壊的な事態は免れない。
つまり、コミュニケーションという回路の効率には、単にゼロかプラスかだけではなく、回路自体をも消滅させかねない「負の力」がある。
「これ、処理できませんか」
「ええ」
この会話が意味をもつにはそれぞれの立場と文脈がはっきりしていなくてはならない。だがやっかいなのは、その立場立場で、文脈の読み方も違ってくることである。
「ええ」の内容が、「処理できる」ことなのか、「処理できない」ということなのかは、この二文だけからは判断できないし、また、両者が同じ意味あいで理解しているのかどうかも不明だ。

同じ意味あいで理解していれば、後日齟齬をきたさずにすむであろう。だが、一方は「処理できる」つもりで言い、一方は単に「あいまいな返事」と受けとったりしたら、事態はずいぶんと違ってくる。処理できる人を他に探して処理してしまえば、「僕に任せてくれなかった」とかたや自信喪失、かたや「あいつは優柔不断なくせに、あとでグチャグチャ言ってくる」となる。二人の信頼関係は崩れ二度と言葉を交わすことのない絶交状態になるかもしれない。
いや、絶交どころか、殺人にまで至るという例だってある。

先日の新聞は、大阪で土木作業員が殺されたことを報じていた。
酒をのんだあげくに、
「おまえはアホだ」
と言われ、言われたほうは大変な侮辱ととり、殺人に至ったらしい。言ったほうは関西人特有の軽い意味で「アホ」を用いたのだが、言われたほうは九州人で、その「アホ」の意味あいを完全に誤解、怒り心頭に発して殺人という事態に陥ってしまったというのである。生命にかかわるcomplete misunderstandingの曲型だ。

この二つの立場が個人対個人でなく、国家と国家、すなわち国益と国益をかけたものであれば、コミュニケーションがpoorであったがために摩擦が生じ、果ては悲惨な戦争という場面だって起きないとは言い切れない。
そんな事態では、コミュニケーションという回路自体が消滅してしまうのだ。コミュニケーションのもつ威力を侮ることなく、何とか負の破壊力としてではなく、正の建設的な力へと向かわせたいものである。

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