コラム

クジラの世渡り

第13回 「イエス」の連発は高くつく

この落とし穴にはまった例は枚挙にいとまがない。僕はいくつでも具体例をあげることができる。
「yes=はい」 などはその好例だ。
日本語の「はい」は、単なるあいづちにも用いることができる言葉だ。
「例の契約の件だが」
「はい」
「君が担当だったね」
「はい」
合いの手も「はい」だし、肯定も「はい」ですませられる。

だが、英語の”yes”は日本語の「はい」よりずっと重みがある。責任が伴う言葉なのである。
半導体の会社に勤める僕の友人は、この "yes" のわなにはまって大失敗をした。
彼がヨーロッパに出張したときのことだ。あちこちの会社の製品を見て回るのが出張の目的だったのだが、各社の説明に、いちいち ”yes” で合いの手を入れたという。もちろん、例の「笑顔とうなずき」付きで。
帰国して三ヵ月後、彼の元に高価な機械が届いた。
「注文した覚えなどない」
と言い張る彼に、先方は、説明の席上で貴兄は何度もうなずいたし、“yes” とも言った、と伝えてきたそうだ。さらに悪いことに、単なる覚え書きだと思ってサインしたものが、実は注文するというニュアンスがよみとれるものだったのだ。

彼の語学力のなさは、もちろん責められるべきところではある。だが、安易に ”yes” を連発さえしなければ、サインをするところまで先方もこぎつけたりはできなかっただろう。
話を聞いていますよ、という姿勢を示したいだけなら、“I see.” で通すべきである。“I see.” には何ら責任はない。送りつけられた不必要な機械を目の前にして、彼はやっと“yes”の重みを知った。ずいぶんと高い代償である。

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