コラム

クジラの世渡り

第16回 「兄弟」は恐怖のヤッちゃん言葉

こういった translation gap、translation aberration の問題に加え、言葉にはさらに ”values reflections” つまり「思想の反映」があることも重要な点だ。言葉には、その国その国の思想が染みこんでいる。

「brother」という英語がある。訳せば「兄弟」とされているが、日本語の「兄弟」というのは実に使用範囲の少ない言葉である。「おい、兄弟」などと呼びかけるのは、例の特殊職業の方以外では見たことも聞いたこともない。健全なる一般市民なら、まず、「兄」「弟」と年齢の上下を明確にして用いるはずだ。「お兄ちゃん」「うちの弟は……」等々。
日本では元来、人間関係においての先輩、後輩、年功序列を重んじるところがあり、兄、弟を明確に区別するのも、その表れであろう。とくについ最近まで、長男であるか次男であるかは、法的な権利においても大問題であったのだから、これは当たり前のことかもしれない。

このような背景まで含めたところに、言葉というものは存在しているし、またこの背景がなくては、言葉というものも成り立つはずがない。

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