コラム

クジラの世渡り

第18回 言葉はコミュニケーションの一部にすぎない(2)

もう、二十年余りも前のことである。日本は高度成長期の真っただ中にあり、人々は好むと好まざるにかかわらず、毎日「アメリカを見て」暮らしていた。当時、僕は中央大学で教鞭をとっていたが、大学には学園紛争の嵐がふきあれ、街は騒然としていた。
何度となく、教授たちは学生との交渉に立ち上がっていった。だが、あれは交渉とか、話し合いというものだったのだろうか。
学生たちは一方的に絶叫し、教授たちも一方的に言葉を発していた。
何時間費やしても、何日費やしても、双方の意思が通じ合ったようには、僕には思われなかった。
同じ日本語を交わしながらも、コミュニケーションは成り立っていなかった。

彼らの間にあったものは、イデオロギーの違い、価値観の違いというものであったろう。
いや、なにも僕はそう難しいことを言い出そうとしているのではない。おのおのが今まで生活しながら学び築いた、物事を評価する基盤のことを言っているのだ。環境、具体的に言えば、育ち、親、教育、あるいは宗教といったものまで含めて、その個人的な基盤はでき上がる。
いいか、悪いか。やるべきか、やらざるべきか。重要か、くだらないか。常識か、非常識か。人が何かを決定するとき、あるいは無意識に感じるときですら、この基盤を抜きにしては考えられない。
この基盤は、あるいは思想と呼んでもいいかもしれない。日本人どうし、アメリカ人どうしですら、思想の相違がある。
ましてや、異文化間のことである。国民性という言葉でくくらざるを得ない違いもあろうというものだ。

妻の実家に結婚の申し込みに行ったときのことだ。妻の母親はただただ目を丸くしていた。父親のほうは、落ちつかない様子だったが、それでも有能なビジネスマンらしく話し合う姿勢を示してくれた。家族、仕事などの説明を求められるままに僕は話したのだが、最後に父親の言った言葉が今でも忘れられずにいる。
「思想が違いますからね。結婚してもなかなかうまくゆかないんじゃないですかね」
愛し合っているんだ、という以外、当時の僕は何も言えなかった。
だが、今ならもう少し違う言い方もできただろう。

「思想の違い、国民性というものを、僕は僕なりに見てきたつもりです。でも、その違いがあるからこそお互いにはっきり見えてきて、それによって分かりあえるということもあると思います」
妻の父親に具体的に説明することができなかった僕は、今ここで具体例を示そうと思う。結婚までの紆余曲折を、今なら少しは省けたのではないかという、かすかな後悔と自負をもって。

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