コラム

クジラの世渡り

第23回 セピア色の世界、日本

セピア色の世界に妥協は付きものだ。双方が歩み寄り、幾分かの幸せを分かちあう。お互いの面子を保った上でめでたし、めでたし、というわけだ。
ラドーの防水時計が珍しかったころの話である。スキンダイビングが趣味だった僕は、夏の休暇を房総で過ごすことにしていた。出発前、愛用のラドーに若干の狂いが生じているのに気づき、分解掃除に出すことにした。
「手前どもの店には最新設備がそろっております。職人の腕も確かですので、安心しておまかせ下さい」
店の口上にすっかり安心しきって、僕はラドーを置いてきた。
仕上りも新品なみのきれいさで、さすがニッポンとばかりに、待望のスキンダイビングに携帯したのだが……。
一日潜ってみると、防水のはずの時計の内側に水滴が。
休みが明けると同時に、また修理に持ってゆく羽目になった。問題はここからである。

「申し訳ございません。すぐ修理いたします」
二週間後、今度は本当に修理されて戻ってきた。請求書とともに。
「そちらのミスでこんなことになったんだ。前の代金は支払い済みのはず。今回の請求に応じる必要はない」
僕の国では謝ったほうに全責任がある。支払う必要はないとつっぱねた。
「部品をスイスから取り寄せたものですから、部品の一部だけ、ご負担ください」
相手もくい下がる。一時間近く押し問答した末、ついに部長というのが出てきた。
アメリカ人の僕は、何時間も進展のない同じ問答をばかばかしいと思っていた。だが、先方はまた同じことを言い出す。

「僕は時間で動いている人間です。そちらのミスから、二週間も時計のない生活を余儀なくされた。この迷惑料はどうなるんだ」
僕の怒りが頂点に達したとき、部長なる人は言ったのだった。
「わかりました。当方で全額負担いたしましょう」
それならそうと、担当者が最初からそう言えばよかったのに、と新たな怒りが湧いてきた。
だがここでのポイントは、部長の出現と迷惑料にあったのだろう。双方の妥協を計る立場としての部長は、わずかな金額をしぶる客に対して、迷惑料という別の項目を秤に乗せることで妥協したのだった。
この日本で人間関係のことを考えるなら、一方的な勝利はあきらめることである。論理的に筋が通っているというだけでは、事は進まない。

ある会社で、役員を含む四人がクライアントと結託して独立してしまう事件があった。
「背任行為じゃないですか。背任責任と損害賠償を請求なさったのでしょう。クライアントは何と言ってます?弁護士は何と言っています?」
その会社の社長から話を聞いたとたん、同じ社長の身として、僕はたたみかけるように質問した。
「一つの戦いに勝っても戦争に負けることがあります」
その社長はこう答えたのだった。

つまり、弁護士も誰もかれも、四人の行為は背任行為として認めているし、損害賠償も勝ちとれるだろう。しかし、裁判に勝ったところで、業界からは冷たい目で見られ、得になるどころか、あそこは裁判沙汰を起こしたとして敬遠されることになる、というのである。クライアントがシラを切り通すなら、切り通させて、クライアントの面子をつぶさないでおいたほうが得策というわけなのだ。
腹に据えかねることでも、一歩ゆずって相手の面子を保たせることこそうまい妥協であり、円満解決と喜ばれる国がニッポンなのである。

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