コラム

クジラの世渡り

第24回 忍法、悠久の術

「先生、お久しぶりでございます。その折には大変お世話になりました。お元気でいらっしゃいますか」
ずいぶん昔に、たった1年間教えたことのある生徒に道でばったり出会ったら、こう声をかけてきた。相手はもうすっかりオジサンで、なかなかのビジネスマンと見えた。だが、いつまででも僕は彼の先生なのである。

「先輩、先輩!」
「後輩のクセに生意気だ」
こんな科白はいたるところで聞かれるが、よく見ると、双方ともすでに大人。とても学生には見えないということが多い。
そうなのだ。日本では、一度結んだ関係は生涯つづくのである。出会いが先生と生徒なら、ずっと師弟だし、学校の先輩後輩は、一生、先輩と後輩だ。軍隊などで作られた関係ですら、戦争が終わって43年の現在も、そのまま続いている。
終身雇用制が強いということもあって、ビジネス場面においても、一度関係が作られると心強い。当の人物が今のポストを辞しても、同じ会社のどこか別の部署にいることが多いから、トラブルが生じたときに呼びだして、仲裁役をたのむというテだって打てる。

ところが、アメリカは違う。学内や軍隊在籍中は、確かに年功序列も生きている。しかし卒業後、退役後までそこでの関係を延長することは少ない。時間、空間的な切りかえが早いのだ。
アメリカの国土の広さにも関係があるのだろうか。一般に日本人よりアメリカ人のほうが、移動については柔軟である。東部から西部へ移動していったように、仕事から仕事へと、気軽に移ってゆくのだ。
1年後、10年後の関係を想定してじわじわやっていたのでは、アメリカではまず成功しないだろう。相手が明日も同じ場所に居るとはかぎらないのだ。

おのずと、日米では時間への対応が違ってくる。
とりあえずお見合いをして、それからゆっくり愛情を育てていくというわけにはいかない。パッと燃える恋愛で今の関係を作ってしまいたい。アメリカ人のせっかちさは、こんなところにあるのだ。
針ねずみのようなつつき合いにはじまり、徐々に徐々に関係を作ってゆく日本人。少し飲んでから、少し食べてから、ゆっくり相手を消化してゆこうとする日本人のような時間が、アメリカには流れていないのだ。

悠久の時間を生きるニッポン人からぼかしの術と牛のような歩み寄り攻勢をかけられると、「オレたちに明日はない」で生きるアメリカ人は忍法のように思ってしまうのも、もっともというところである。

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