第26回 言ってみたいな「ハーイ、社長」(1)
ゆったりとしたアプローチ、生涯一貫して変わらぬ関係がつづく日本の社会では、その親密度の表現もアメリカとは大きく異なっている。
性急に親しい関係を求めるアメリカ人は、二、三回会っただけで、ファーストネームで呼びあう。
呼びあうことで、親密度が増す。しゃちほこばった形を崩してゆくことがfriendlyということだと信じている。
僕が大学で教えていたころのことだが、机の上にお尻をのせて授業をしていたのを目撃した老教授から、
「クディラ先生、まことに言いにくいのですが、これは机といって、そこで書き物をしたり、本を置いたりします。こちらのほうが椅子と申しまして、こちらが座るものとして使うのです」
と、やけに馬鹿ていねいなお叱りをうけて、僕はムッとして思ったものだ。
「若い人の気持ちがわからないオヤジだなあ。ゼミの学生の緊張が和らぐようにと、こちらは気くばりしてるんだ!」
その後しばらくして、外資系の会社に勤める日本人の愚痴をきいた。
「待遇もまあまあだし、これといった不満もないんですが、あの妙な格好で僕らを侮辱するのだけは許せない。戦争してるんじゃなくて、同じ会社で働く仲間ですよ。いくら、ボスだといったって」
「いったいどうしたの~」
「足ですよ、アシ。そりゃ、僕らより足は長いし、格好いいし。でもね、机の上に足を投げ出すのは部下をねぎらうって感じじゃないですよ。侮辱です、侮辱」
へっ!!青天の霹靂とはこのことである。僕らアメリカ人が、相手をリラックスさせよう、自分が味方であることを示そうとしてやっていることが、相手には侮辱と映るのだ。
机に座るのは、僕も形式ばらずにやるから君たちも堅くならないで、というサインだし、足を机に乗せるのも、僕をボスとしてではなく仲間と思って接してくださいよ、というラブコールなのである。