コラム

クジラの世渡り

第31回 「いい湯だなー」で大失敗

こと服装に関するかぎり、今やニューヨークと東京にたいした違いはないと言っていいだろう。かつては、東京の街を歩くと異国にいるなあと意識させられたものだが、今では僕に二つの都市の隔たりを感じさせる日本人の姿は少なくなっている。体型から洋服の着こなし方まで、僕らアメリカ人と大差のない連中が増えたようだ。

外見は似てきているといっても、「ステテコ」をはいているアメリカ人は今のところ一人もいないだろう。しかし、それだっていつかは「日本は湿度が高いからねえ、ステテコをはいているとさっぱりしていいよ」なんてことになり、デパートにも外国人サイズのステテコが出回ったりするかもしれない!
まあこれは冗談だが、日本に来た当初の驚きの数々も、今となっては懐しい思い出である。

たとえば風呂だ。

初めて訪ねた家で「泊まっていらっしゃい」と言われた僕はそれだけでもびっくりしたのだが、勧められるままに風呂へ入って文字通り目を丸くした。何しろ風呂が木の箱でできているのだ。台に登って木の蓋を取ると中にはお湯がなみなみと入っていて、横の別の箱から蒸気が上がっている。
「困ったぞ、どうやって入ればいいんだ?」
僕はとにかく水を入れて湯をさまし、木の箱の中にそろりそろりと体を入れてみた。とたんに大量の湯が外にあふれた。それから石鹸を取って、箱の中で体をゴシゴシ洗ったのだが、当時の僕は軍隊にいてシャワーしか浴びていなかったから、たまった垢を洗い落として実にいい気持ちであった。
さっぱりしたところで箱の外に出て、底の栓を抜いてお湯を流すと風呂場を出たのだ。

翌朝、その家の主人が、「クディラさん、夕べお風呂に入ったとき、中で石鹸を使ったんですね」と尋ねた。「ええ、使いましたよ。日本ではお風呂に入るとき石鹸を使わないんですか」と答えた僕は、どうやら大失敗をしでかしたらしいとは察しがついたが、どこがどう間違っていたのか見当もつかなかった。
聞けば、日本の風呂は湯船の外で体を洗い、体を流してからまた湯船につかって上がるのだと言う。
それに、風呂のお湯は一度で流すのではなく、足りなくなれば水を足しながら何度も使うというのである!僕はただもうびっくりした。僕のしたことはとてつもなく行儀の悪いことだったのだ。

こんな失敗を幾つしたか、数えきれないほどである。ただいずれの場合も、日本人のほうに理解があって助かったというだけのことだ。初めは驚きでしかなかった日本の風呂も長くいるうちに好きになり、今では、アメリカに帰って家を買うときにはバスルームを日本式にしようというのが、僕の密かな夢にさえなっている。

五月の菖蒲湯、十二月の柚子湯などは、自然の香りが生きる木の風呂ならではの豪奢な楽しみ方ではないか。仕事に疲れた体を伸ばして湯船につかり、ほのかな木の香をかぎながら窓越しに月を眺める僕のバスルームよ!
訪れたアメリカの友人たちの驚く顔を見ながら、木の風呂のマナーについて説明するときの心躍りを想像すると、僕の顔は自然とほころんでくるのである。

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