コラム

クジラの世渡り

第32回 皮靴をはいた猫!(1)

「同じ釜の飯を食う」ことが人間関係を作り上げる一つの基盤であることは、世界中どこへ行っても同じであろう。

自国の歴史や文化と共に、その国の人びとが誇りとしているものに料理がある。暑い国、寒い国、牧畜をする国、漁業の盛んな国、様ざまな自然と風土がその国独特の食文化を生み出す。それを尊重できなければ、その国の人びととの間に真の友情を育てることは難しい。
しかし、人間の味覚というものはそう簡単に変えられるものではない。僕は日本に来てそれを痛感した。

初めて寿司を食べたときのことはいまでもよく覚えている。友人が、「日本のおいしい料理を食べさせたい」と言って僕をある寿司屋に招待してくれた。意気揚々とついていくと、小さい店の中には生木のカウンターがあり、あろうことか目の前のケースには死んだ魚が並んでいるのだ。

「これは先が思いやられるな」と不安に思っていると、「何がお好きかな?」と聞いてくる。「何でも、だいたい好きですよ」とほとんどヤケになって答えると、「じゃあ任せてもらいましょう」。友人は勇んで注文をしはじめた。

出てくる、出てくる。白い御飯の上に死んだ魚がちょこんとのっかって。僕は自分が皮靴をはいた猫であるかのような気分だった。アメリカで死んだ魚を生で食べるのは猫だけなのだから……。

しかし、友人は僕を喜ばせるために寿司をふるまってくれているのだ。そこで僕は、今自分がしようとしているのは、二十歳のころにパナマのジャングルで経験した軍隊のトレーニング同様、一種のサバイバル・トレーニングなのだと思うことに決めた。生き延びるための訓練なのだと考えれば何てことはない。

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