コラム

クジラの世渡り

第36回 毎日が「ハレ」の日本人?

アメリカ人を父親に、日本人を母親にもっている僕の子供がそのことをもっとも幸福に思う時期がある。クリスマスとお正月だ。「だって、どちらも二度楽しめるでしょ。おまけに日本とアメリカじゃ、お祝いの仕方がまるで違うんだもの」まったくその通りで、よくもまあこれだけ違うものだと僕も感心するくらいである。

新年というと、アメリカでは大晦日から夜っぴいてどんちゃん騒ぎをし、大にぎわいのうちに迎えるが、日本ではそんなことはしない。家族水入らずで静かに新年を迎え、お雑煮とお節料理と呼ばれる独特の料理を食べ、一年の家族の無事を願って寺社に詣で、子供にはお年玉が配られる。家々の玄関には門松が飾られ、新年の到来を祝う。

これがクリスマスとなると事は反対になる。第一、新年はどこの国にも、どんな人々にもやってくるものだが、クリスマスは本来キリスト教徒の祝いである。それがどうして日本でこれほど盛んになったのだろうか?

それはさておいても、日本のクリスマスの祝い方には驚いてしまう。老若男女入り乱れてのどんちゃん騒ぎになってしまうのだから。僕にとってクリスマスは実に神聖なお祝いである。家族と共に伝統的なクリスマスの料理を食べ、連れだって教会へ行き祈りを捧げる。ふざけ半分の気持ちはまったくない。家へ戻ると、家族みんなでクリスマスプレゼントを交換し、互いの幸福と健康を祈るのだ。
それがどうして日本人の好みにあったのかわからないが、今では日本の子供たちにとって、クリスマスのほうがお正月以上に親しまれているようにさえ見受けられるのはなぜなのだろう?クリスマスが近づくとパーティーグッズがとぶように売れ、街はモミの木とイルミネーションで雰囲気を盛りあげ、人びとはどこか浮き浮きと歩いている。
たぶん、これには日本の社会の急激な変化、経済の高度成長が関係しているのだろう。クリスマスが華やかに祝われはじめたのは、家庭ではなくて夜の繁華街においてだったのである。金や銀の三角帽子を被って酔っぱらって歩くビジネスマンたちこそが、日本のクリスマスのあり方を決めたのではないだろうか。

しかし、最近の日本を見ていると、民族学でいうところの「ハレ」の状態が日常化しているように思えてならない。
バレンタインデーだホワイトデーだと次々に作りだされる人工的な祭りの演出を見ていると、まるでいつも軽い興奮状態にいなければ精神の平和が得られないかのようだ。それとも、精神の平和が得られないからこそ、企業の宣伝に乗せられているのを承知でお祭り騒ぎに熱中するのだろうか?

初めてこの国へ来たころのお正月の静謐な美しさを思いだしながら、僕は複雑な気持ちになってくるのである。

グローバルコミュニケーション研修のことなら何でもご相談ください。

PageTOP