第37回 名刺に威力はないと知れ!
日常生活での問題に加え、ビジネスの場面では、さらに細ごまとした障害が現れる。事前に知っておきさえすれば、こんなことにはならなかったのに…と悔やんでも後のまつりというものだ。これらは成果と情報量が正比例する類のことであり、情報収集こそコミュニケーションのカギとなるのだ。
きちんとお辞儀をすませたら、左の内ポケットから名刺を取り出し、「クディラと申します」と言いながら差し出す。差し出されたほうは、「ウムウム」「なるほど」といった表情をしながら席につき、会見中はその名刺をテーブルの上に載せておいて敬意を示すこと…。新入社員向けのビジネス・マナー読本にはこんなことが書かれているはずだ。名刺は「顔」なのだから、出すときも出されたときも丁重に扱え、と日本では教えられる。日本でいかに名刺が幅をきかせているかは、たとえば紹介状にまで使われることを見ても明らかだろう。名刺の横に一筆書いて判を押せば、何にも勝る紹介状、保証人を得たことになる。あるいは、一流企業の名刺一枚でバーのツケがきくんだ、という話もある。
だが、米国における名刺の意味はまったく異なる。何度も会って取引を成立させても、その間、一度も名刺交換がなされないというのが普通だ。むしろ、名刺なしでも顔と名前を覚え、また相手に自分の顔と名前を覚えさせることがビジネスの第一歩とされているのだ。では、米国では名刺は使われないのか。まったく用いられないのなら話は簡単なのだが、使われ方が日本とは違うから厄介なのである。米国で名刺を使う代表的な職業はセールスマン、弁護士、公認会計士、等々。すなわち、自分を売り込む必要のある人ばかりである。「売り込み」が「押しつけ」、そして「安っぽさ」のイメージにつながることは容易に察しがつくであろう。名刺をばらまきたがる人に対して米国人は「軽い」とか「安っぽい」という先入観をもってしまうのである。
そんな米国人が日本的な名刺のマナーを心得ているはずがない。僕の友人などはトランプを配るように名刺を渡して、「あのアメリカ人はどうも信用できない」と評されてしまった。だが裏を返せば、こういう陰口だって聞こえてくるのだ。「うやうやしく名刺を差し出して、軽薄なジャップめ。売り込みならノーサンキュー!!」とはいえ日本人には、もはや習い性となってしまった名刺の儀式をすんなり捨て去ることは難しいかもしれない。
そんな向きに、一言アドバイス。しょっぱなに出すのだけはおよしなさい。話の末尾などに「連絡先はここです」などと言って手渡すのがよいでしょう。とにかく、さり気なく。ここがポイントなのだ。