コラム

クジラの世渡り

第40回 職場の花はもうケッコウ

最近のテレビCMを見ていると、流行の服を着こなしたいかにも軟弱そうな男性社員を尻目に、颯爽とオフィス内を闊歩する日本女性の姿がよく登場するが、これは一大変革であるような気がする。一昔前までは、企業戦士といえば、日本では男性のことでしかなかった。女性社員は職場の花であればよいという風潮が、企業にも、男性にも、そして女性自身の間にも蔓延していた。前に述べたお茶の接待にしても、自分の仕事を中断してまで訪問客や同僚のためにお茶の支度をする女子社員がいるからこそ成り立つ習慣であろう。

「何で彼女がそんなことをしなければならないの。お茶を飲みたきゃ自分で入れればいいのよ」米国の女性が、「おい、お茶を入れてくれよ」などと甘えたことを言う男性社員の言うなりになる日本女性を見たら、まずはこう思うところだろう。あるいは、「彼女はハウスメイドとして雇われているのかしら?それとも、プライドというものがないのかしら?」とまで思うかもしれない。だからといって、米国の女性が男性を顎で使っているわけではない。ただ、彼女たちには自分の仕事に対する強烈な自負があり、オフィス内で、自分の仕事以外に私的な要求をされることには抵抗を抱くというにすぎないのだ。

「ちょっと煙草買ってきてくれよ」「このコピーとってきてくれない」等々、本来は自分でするべき様ざまな雑用が日本の女性社員には押しつけられている。これは、日本の男性が、家に帰るとタテの物をヨコにもしないで平気でいるのと同じ理屈である。「自分でしてよ!」などと突っぱねたりすれば、なんて悪妻なのかと思われかねないのだ。

しかし、「女性社員は職場の花」という長年の習慣も、ここへきて少しずつ変化してきているように思える。どこの会社へ行っても、男性社員に伍して、専門分野で力量を発揮している女性の一人や二人は必ず目にとまるようになった。その数が増していけば、とうぜん女性社員全体の地位も高まろうというものだ。「お茶ですって。十年早いんじゃないの!」と、男性社員の横暴をピシャリとはねつける日本女性の姿が当たり前になる日も、やがてはくることだろう。会社でも家でも、女性にかしずかれることに慣れきった日本男児の顔に浮かぶ戸惑いの表情を、私は密かに楽しみたいと思っているのである。

グローバルコミュニケーション研修のことなら何でもご相談ください。

PageTOP