第42回 もてなしはアットホームに
「それにしても、昼食の接待だけではすまない客もあるんじゃないの?」
確かに、アメリカでも接待が夜に及ぶということはある。そういう場合はレストランを使うこともあるが、相手が今後とも自分のビジネスに重要な人物とみなされるときには、家へ招くのが普通である。ところが、その相手が日本人だったりすると話がめんどうになるのだ。
「クディラさん、アメリカ人というのはもてなし方を知らないんですかね?私に接待のお礼をしてくれるというので行ってみたら、カミさんが出てきて、家の中を案内するんですよ。それから皆でスパゲッティを食って、一杯飲みながら子供の写真なんか見せて、それで終わりですよ!」
「ああ、それならあなたは最高のもてなしを受けたんじゃありませんか。不満に思う必要はまったくないですよ」
私の返事に、日本の友人は狐につままれたような顔をしたものである。
アメリカ人にとって何より大切なのは自分の家庭である。これは誰もが認めることであるから、仕事上の重要な客も家へ招いて接待する。自分のいちばん大切な場所に招くというのは、最高のもてなしである、というわけである。家へ招かれることで、客のほうも自分が大切に扱われていることがわかるのだ。家とは自分が裸になれる場所である。だから、そこへ客を招くということは、自分の人となりをあからさまにすることなのだ。日本に「裸の付き合い」という言葉があるが、まさにそれである。家を案内し、家族を紹介し、皆がいっしょに会話することで、自分の出身や経歴、趣味・嗜好、教養の程度など、すべてを相手に伝える。そこから交渉を開始するのが「清潔でよい出発」、というのがアメリカ人の考えだと言えるだろう。
むしろ、日本式の、金に糸目をつけずにレストランやバーを連れ歩き、たいした話もしないままタクシーで家へ送り届けて終わりという接待は、アメリカ人には違和感があるものだ。まるで自分に心を許しておらず、それこそ「裸の付き合い」を拒んでいるような印象を受けてしまう。
「あれだけ接待したのに何の音沙汰もない。アメリカ人というのは人の気持ちがわからないんだろうか?」と、仕事の不調を嘆く日本人。
「ビジネスにいちばん必要なのは相手との信頼関係なのに、日本人がそれを二の次にするのはなぜだろう?」といぶかしがるアメリカ人。
私にはどちらの嘆きもよくわかる。よかれと思ってする接待が、誤解を招く結果になることだってあるのだ。
ところで、接待の仕上げに客を家へ連れて行きたがる日本人もいるのだが、そのやり方がまたびっくりするほど奇抜なのには恐れいる。さんざん飲んだあげく、こちらはもう帰りたいと思っているにもかかわらず、「ちょっとお寄りくださいよ」などと言って自分の家へ連れて行くのである。すると、もう深夜であるから、とうぜん寝間着姿の細君があわてて身つくろいしながら現れ、「こんな格好で申し訳ありません」とひたすら恐縮しながら酒肴の支度をしてくれるのだ!恐縮するのはこちらのほうである。挨拶をして門を出たときには、もうくたくたになっている。アメリカでそんなことを二、三度続ければまちがいなく離婚であろうが、日本でそうならないのはなぜなのだろうか。
企業戦士たる夫は、会社のために身も心もすりへらしながら客を接待しているのだから、銃後の妻たる自分は、予期せぬ深夜の訪問客にもあわてず騒がす、もてなしの支度をするのが当然だーと、大和撫子の本領を発揮してくれているのかもしれない。しかし、「あなた、いま何時だと思っているのよ。今度こんなことしたら家には入れないわよ!」と夫を叱ってくれたら……こう願っているアメリカ人もいるのである。