第50回 食卓の騒音公害
日本人は虫の音を聞いただけで、その種類までわかってしまう。「あ、ミンミン蟬だ」「ヒグラシだ」小さい子供もまずその種類を言い当ててしまう。僕らにとって、蟬は十把一からげで蟬であり、蟬の種類までは気がまわらない。こうした点をとらえて、「大ざっぱなアメリカ人と繊細な日本人」という考え方をする人もいるようだが、そう簡単に断言できるものでもない。音に対する感受性の問題でいえば、僕たちアメリカ人にとって、日本人が食卓でたてるあの音はどうも気がかりなのである。日本人は音を立てて物を食べるのがそもそも好きなのかもしれない。よい例が蕎麦である。僕は東京で初めて蕎麦屋へ入ったときの驚きをいまだに覚えている。なにしろ客という客がみな「ズルッ、ズルッズルッ」と無遠慮な音を立てて食事をしていたのだから……。
蕎麦については、食べ慣れていくうちに僕にも納得がいった。あれは威勢よく食べなければのびてしまって、味が半減してしまう。それに、「きっぷの良さ」を売りものにする江戸っ子の好物であるから、のろのろといつまでもかじりついてはいられないのだ。のびてまずくならないうちに食べ終えようとするから、どうしてもあわてた調子になり、「ズルズルッ」と音を響かせることになってしまう。「あのタコは、何をしみったれて食っていやがるんだ?」「おおかた蕎麦の食い方もしらねえ田舎もんだろうよ」。音を立てなければ、かえって江戸っ子に笑われてしまったにちがいない。蕎麦の音は、それ自体が味のうちだったのであろう。お茶漬も「サラサラ」とほとんど流しこむだけの食べ物で、これも放っておけばふやけてまずくなるのだから勝負は早い。いきおい音もにぎやかになる。
蕎麦や茶漬が日本の庶民の代表的な食べ物だとすれば、「茶の湯」は日本の特権階級が育てたハイクラスの飲み物だと思われるが、これがまた音と切ってもきれない関係にあるようだ。主人が差し出した茶は三回で飲み干すのだが、三回目に「ズズズーッ」とうまく音を立てるのが作法になっているのである。それが「おいしく頂きました」という挨拶らしい。静かでほの暗い茶室に響く「ズズズーッ」には最初のうちドギモをぬかれた。なにしろこちらは、物を食べるときに音を立てるのが最も下品な行為とされる国で育った人間である。日本の美意識の極致と言われる「茶の湯」でさえ、音を立てることが作法にかなっているとは!
僕も、その後の長い滞日生活で日本の食習慣に慣れ、食べ物によっては音が味を引き立てる場合もあることを理解できるようになった。しかし、それはあくまで日本の食習慣である。欧米では食卓での無遠慮な音はとにかく嫌がられる。教養のない証拠とされてしまう。だからといって、「困ったな、音を立てずに食べるなんてできそうもないや」と食事の前から憂鬱になるくらいなら、いっそこうしてはどうだろう。食べ物と音の関係を食卓の話題にしてしまうのだ。「ミスター・ジョンソン、日本人は食事の音を楽しむ民族でしてね。たとえばこのスープにしても、ついズズッと音を立てたくなるんですよ」こんなふうに機先を制しておくのも一つの手かもしれないと思うのだが、さてどうなることか!