コラム

クジラの世渡り

第52回 誰がためにチップはある?

「チップを払うのはいいんですよ。ただねえ、どんな相手に、どのくらい払えばいいのかがわからなくて……」確かに慣れない者にはチップは煩わしい。しかし、僕はチップ制度をそう悪くないものだと思っている。日本でも、旅館などで部屋づきの女中さんに「心づけ」と称して何がしかの金を紙に包んで渡す習慣があるが、あれも考えてみればチップである。「魚こころあれば水こころ」とはよく言ったもので、やはり心づけがあるかないかで女中さんのサービスにも差が出てくる。うかつにも心づけを忘れたために無愛想にされ、あんな旅館に二度と行くものかと苦い体験をした方もいることだろう。日本人の心づけは、相手に対して格別のサービスを期待しているのだということを示すものなのだ。だから、客が当たり前のサービスしか望まないならば、出す必要のないものだと言える。

欧米のチップは逆で、ボーイやウエイターといった職業の人は、自分の仕事がサービスを売るものであることをはっきり意識している。それは、彼らの収入の大部分がチップから成り立っているためで、チップは彼らにとって正当に支払われるべき報酬なのだ。だからこそ、少しでも多くのチップを得るために、彼らはプロ根性を発揮してサービスに精を出す。客は彼らのサービスの程度をはかり、場合によっては相場以上のチップを支払って労をねぎらうというわけだ。一方的に源泉され、誰に支払っているのか判然としないサービス料よりも、直接自分にサービスを提供してくれた者に、感謝の気持ちをこめて手渡すことのできるチップはそれなりにいいものではないか。

ただ、日本的な万事控え目がよしとされるサービスと違い、生活のかかっている、戦闘的ともいえる欧米式のサービスは、うるさく感じられるかもしれない。それもこれもチップの額がサービスの評価によって変わってくるためで、どうせならたくさんもらいたいと思うのは自然の理、悪く思わないでほしいものだ。「とても感じのよいウエイターだったんでチップをはずんだらやっこさん喜んでね、こっちもいい気分になれたよ。あの店にはまた行きたいものだ」―こうした思い出ができるとすれば、それもまた旅の醍醐味の一つではないだろうか。

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