第55回 ボギー俺も男だ!
「強くなければ生きてはいけない。優しくなければ生きている資格がない」とはあまりにも有名な探偵フィリップ・マーロウの台詞だが、日本人が苦手とするレディーファーストの極意はまさにこれなのだ。フェミニズムを標榜する女性たちにはけなされそうだが、レディーファーストのいちばんの基本は、強い男性が弱い女性を守るのだという気概にあるといってよいだろう。日本では「戦後強くなったものは女と靴下」とか言うらしいが、実態はどうなのだろう。強いほうが弱いほうに譲るというのはきわめて自然なことのように思うが、シルバーシート一つとっても、あまり効果は上がっていないように見える。日本国内ではいまだに根強い男社会の常識がまかり通っているが、欧米ではレディーファーストこそが常識なのである。形式と言ってしまえばおしまいだが、おおよそどんな場合にレディーファーストの精神を発揮するかは決まっているから簡単だ。
まずドアの前では開けてやって女性を先に通す。エレベーターでは女性が先に乗り、先に降りる権利がある。きちんとしたホテルのエレベーターでは、女性が降りてから他の乗客が降りる。そして、女性から先に乗る。車も同じで、女性が乗るときにはドアを開けて先に乗せ、目的地についたら男性が先に降りてドアを開け、女性に降りていただく。これを守ろうとしない人間に対する周囲の目はとても冷たい。常識外れと思われるだけでなく、人問性まで疑われかねない。僕の家内など、アメリカにいるときは好きなだけレディーファーストを利用する。こっちがやれやれと思いながら車のドアを開けてやると、にっこりして「ありがとう」と言う。僕は「日本に戻ったら覚えていろ」とにらみつけてやるが、ケロリとしている。コートを脱いだり着たりするのに手を貸すのもレディーファーストの常識である。同じように、女性が煙草を手にすれば火をつけてあげるのが普通だ。あほらしくてやってられないと思っても、欧米にいてこの習慣を守らなければ、「日本人ってやっぱり野蛮ね」と思われてしまう。
ただ、欧米の女性にはレディーファーストで接しながら、自分の細君にはまったく頓着しない日本人がたまにいるが、これは考えものだ。まるで二重人格者のように見られてしまうし、体裁だけのレディーファーストであって、少しも心がこもっていないと判断される。「そんな習慣がないんだから心をこめろと言われたってできっこないさ」―確かにそうかもしれないが、自分といっしょにいる相手が心地よく過ごせるように気を配るのは何も特別なことではないはずだ。それが形式として成立しているのがレディーファーストだと思って、せめて欧米にいるときには守って頂きたい。胸の奥底で自己矛盾に苦しみながら、連れの女性にレディーファーストの笑顔を向ける日本男児。あなたこそ男の忍耐を知る我らがボギーなのかもしれないのだ!