コラム

クジラの世渡り

第56回 プレゼント大作戦

夏の中元、冬の歳暮シーズンともなると、各デパートはこぞって大々的な宣伝合戦を繰り広げ、新聞には「ご贈答用品」の折り込み広告がどっさりと入れられる。毎年、様ざまなコピーが手を変え品を変えて登場し、これこそは効果抜群のプレゼントであると、自社の製品を必死で売り込む。一方もらう側は、「今年のお歳暮は油ばっかりでいやんなっちゃうわ。どうせならハムなんかのほうが、よっぽどいいのに」などとあからさまな思いを口に出したりしている。確かに、贈答というものは、一種、人間の本能に根ざしたものである、

アメリカでも、自分の子供に目をかけてもらおうとして、担任の先生にプレゼントをする母親もいる。apple polisher(ごますり)という言葉があるが、これも、もとをただせば、先生のお気に入りになろうとして、子供たちがリンゴを一生懸命みがいて手渡したことから出てきた言葉だ。こう考えると、日本の贈答の習慣がわからないでもないのだが、あまりにも義理だけで行われる単なる儀礼と化す一方で、ただただ派手になるばかりなのには、いくら在日三十余年の日本通の僕でも考えさせられてしまう。僕でさえアレっと思うのだから、日本の習慣をよく知らないアメリカ人は面くらうばかりである。面くらうどころか、日本よりずっと厳しいモラルのもとで仕事をしているのだから、迷惑に思うことさえある。

数年前、日本のある会社から十万円を受け取ったアメリカの政府高官がいた。もちろん彼は職業上のモラルをもっている人問だった。ただ彼は、礼を重んじる日本人のしたことだから断っては悪いと考えて受け取ってしまったのだ。十万円は金額としてはわずかであるし、彼はそれを貰ったときのままの形で金庫に保管しておいた。しかし、アメリカではそれは重大な犯罪行為とみなされてしまうのだ。事を重大視されたこの高官は、ついに辞職した。おそらく、贈った側の日本の会社はそんな大それたことをしたつもりなどまったくなく、結果的には迷惑をかけることになってしまったアメリカの高官に対しても、「十万円ぽっちなんだから使ってしまえばわからなかったのに」と、彼のおかたい対応が不思議でならなかっただろうと思う。だが、かくも日本経済が力をもっている現在、そんな認識では、金にモノをいわせる成金だと日本たたきが激化するばかりではないだろうか。日本的なビジネス場面での贈答習慣を海外までもち出すのは、リスクが多すぎると思われる。くれぐれも自重を、と僕は声を大きくして言いたい。

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