コラム

クジラの世渡り

第63回 握手は成功への第一歩

アメリカでレーガン大統領とゴルバチョフ書記長のINF条約締結を決めた会談が行われたとき、たびたび流れるニュースを一度でもご覧になった方は、両首脳の交わした握手の力強さと長さに気づかれたことと思う。世界中が関心を寄せて二人の会談の成り行きを見守っていたのだから、もちろんそれを意識しての演出があったとは思えるが、あの握手には、世界平和を担う二大大国を代表する人間としての自覚と自信があふれていたように思う。どちらともなく差し出された右手ががっちりと合わされ、力をこめて何度か振られた。そして、離れるときも、どちらか一方が先に手を離すということもなく、それでいてすっきりとした、後味の良い男らしい離れ方だった。僕は、何はともあれ二人とも握手の名手であるなあ、とつくづく思ったものだ。二人はあの握手で、演説にまさる効果を視聴者に与えたのだ。信頼と友情が二つの国の間にしっかりと結ばれているという印象を。

握手とは、かくのごとく重要なものである。欧米人との交際においては欠くことができない。しかし、これがどうも日本人には抵抗があるらしい。一般に欧米人はスキンシップを重んじる。肉体的な接触を通して愛情や友情を伝え合うことはごく自然な行為だと考えている。接吻や抱擁というと、すぐ男女の痴態と結びつけて受け取りがちな日本人には、そこが理解できないようだ。朝っぱらから夫婦が出がけにキスしたり、いい年をした男同士が肩を抱き合ったり、アメリカ人のすることはどうも気色が悪くってたまらないなあ、となる。街中のいたる所に成人向け映画の目を覆いたくなるようなポスターが貼られ、ディズニー映画のビデオと並んでアダルトビデオが店先に置かれているアナーキーな国では、自然なスキンシップまで歪められてしまうのは仕方のないことかもしれないが、せめて握手については偏見をなくしておいたほうが自分のためである。

握手とは、取引を結んだり、意見や計画に同意したり、仲違いを解消したりするといった、交際の重要な場面に必ず出てくるものである。中でも初対面どうしの握手は避けて通れないし、そこで与える印象は、その後の交際のあり方にも影響する大切なものなのだ。欧米人はそこで互いの気持ちの交流をはかっている。手応えのある握手を感じると、「あっ、この人は男らしい」とか、「これは信頼できる人物だな」「とてもいい人のようだ」といった良い印象を相手に抱く。逆に、ぐにゃっとした汗だくの、死んでいる魚みたいな手応えであれば、「おや、男らしくないな」「どうも好きになれそうもない」「覇気のない男だな」という印象になる。

目と目を見つめあいながら握手を交わす。一瞬にして友情が生まれることもあれば、お互いの腹の内が見えて嫌悪感が生じる場合もある。握手で人間関係のすべてが決定されるというのではないが、差し出された手をただ握ればよいというのでもない。「ほんの短い握手でそんなことまでわかるのかい? 第一、そんなふうに人間性の判断材料にされるんじゃ、かえってやりにくい気がするけど」握手の習慣がない日本人にはそう思えるかもしれない。けれども、起源はローマ帝国時代にまでさかのぼるという長い握手の歴史をもつ欧米人にとっては、良い握手とはどんなものかが自然と身についてしまっているのだ。ちょうど日本人のお辞儀がいつのまにか身につくのと同じようなものだ。だから、日本人としては、うまい握手の仕方を心がけるより先に、握手を「よい習慣」として受け入れ、握手に対する自分のためらいを少しずつでもなくしていくことだ。「なるほど、いやだいやだと思って握手をしたのではカもこもらないし、早く手を離したくなるから、それこそ相手を快く思っていないという印象を与えてしまうのかもしれないな」その通り。だからといって何もオーバーな表現がよいというのではないし、握手をしながら頭まで下げることはない。要はお辞儀と同じく心の問題なのだから。ただし、女性に対しては相手が握手を求めた場合だけでけっこうだ。

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