コラム

クジラの世渡り

第69回 不倫、このスキャンダラスなもの

帰宅時間のみならず、いわゆる男の世界というものに対して大和撫子はきわめて寛大であると言えよう。日本女性のみならず、日本社会が、その点についてはかなりおおらかなように思われる。これは、たとえば政治家のスキャンダルに対する世間の態度にも現れている。昨年あたりマスコミをにぎわしたハート氏のご乱行にしたって、日本でなら、果たしてあれほどのダメージになったかどうか、日本で長老といわれる政治家たちの中には、何人も妾を囲っていたなどといわれている人も多い。だが、それも男の甲斐性などと寛大に受けとめられていたように思われる。日本人のほうがイヤらしいのだろうか、などと妙に反省したりされては恐縮である。人間の本能なんて、全世界、そんな違うはずがないではないか。

この日米の違いは、もちろん、一つには宗教的背景である。男女関係はたった一つ、とされているのが米国社会なのだ。一方、日本では、男と女のことは二重構造になっている。「真面目」な付き合いと「遊び」の関係とをきっちり分けていて、これをうまく分けられる人は甲斐性があると受け入れられ、この二重構造をグチャグチャにしてしまった人は、とたんに女好きの甲斐性なしなどと言われてしまうのである。白黒をつけずに灰色を好むところからてきいるのかもしれない。米国社会は白黒をはっきりさせ、宗教的倫理観に支えられているからスキャンダルはオミット、といえば実にすっきりと筋が通って、しかも堂々と胸を張れるところだが、一方では、告訴天国という側面を無視はできない。

「遊び」の対象としてすませる異性という考え方がない米国では、妻に浮気がバレた場合は、即告訴、離婚となる。離婚とあいなれば、法はどうしたって女性の味方だ。男たちは身ぐるみはがれて、無一文というのがオチ。おのずとスキャンダルは極力避けようという臆病風にも吹かれるのである。こんな米国社会の一面も知っておいて損はないはずだ。男と女、一つの仕事をいっしょにやっていくうちにいろんな感情が芽ばえ、ヒョンなことになるというのは、東京だって、ニューヨークだって変わりはないはずなのだから……。

しかし日本のサラリーマンが、世間的には「遊び」の対象とは認められない堅気の若い女子社員とお茶ひとつ飲むのも一対一ではどうも、などといって他の同僚も誘うような気遣いは、米国ではしなくて大丈夫だ。噂話は日本社会ほど好まないし、大の大人二人がお茶をのんでいたくらいで一生を左右されたりはしない。恋の花が咲き、たとえそれが実を結ばなくても、シングルどうしのまっとうな付き合いなら、誰もスキャンダルなどとは思わないものだ。その点はどうぞご安心を!

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