コラム

クジラの世渡り

第73回 拒絶反応の特効薬発見

澄んだ目で僕は接点を探そうと思う。人と人との出会いは心臓移植のようなものだ。同じ民族どうしだって、拒絶反応は山ほど想定される。想定される拒絶反応を緩和させようと、医者なら薬を打つだろう。人と人の拒絶反応を緩和させるもの、それは接点である。多く見つかれば見つかるほど、心は開かれる。

隣のオヤジは無愛想でどうもとっつきにくい。苦手だなあ、と日ごろから思っていたのに、日曜日に釣り堀で隣リあわせた。「いつもなら利根川べりまで足をのばすんですけどね、今日は寝坊しちまって」 「いや、あそこの川っぷちでも、ちょっと東のほうがいいんですよね」 同じ日本人どうしでも、こんなちょっとした接点で急に打ちとけることがある。日曜日の昼下がり、けむたい存在だと思っていた課長にパチンコ屋でばったり出会って、二人とも照れ笑いを浮かべながら会釈をした、などという経験はないだろうか。課長も家じゃゴロゴロもしてられないのかな、大変だなあなんて勝手に自分の姿と重ねあわせ、同病相憐れむご仁もいるだろう。

接点なんて、意外とつまらないところにゴロゴロしているものだ。国籍の違う人間どうしでも、その気になれば接点はすぐ見つかる。人間なんて不思議なもので、自分と似たところを他人に見い出すと、安心したりうれしくなったりするものだ。アメリカ人だって同じである。

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